「ことばを育てる」その1 ~2022年度和光学園報特別号 座談会より~

まだまだコロナの影響を受けることもありますが、行事を含めた学校生活はほぼ戻りつつあります。親和会(PTA)活動も通常通り行われ、何よりも子どもたちの活気にあふれた姿に力づけられる日々です。

2学期も下旬になりました。小学校のいちょうまつり、幼稚園の運動会は秋晴れの中滞りなく実施でき、6年生の沖縄学習旅行は今年も充実したものとなりました。

第8回目となる和光小学校・和光幼稚園合同公開研究会は、先週末3年ぶりに対面で行い、授業研究、保育研究も行うことができました。ご参加頂いたみなさまに心から感謝申し上げます。


この秋発行の和光学園報特別号では、「ことばを育てる」と題して4月から理事長に就任された小森陽一先生と和光鶴川小学校の橋本先生、和光高校の畠中先生の座談会を企画しました。

7月末に行った座談会は、鶴小と高校の授業にとどまらない“ことば”と向き合う実践、さらには小学校の美術教育や幼稚園のげき作りにも拡がり、あっという間に2時間あまりの時間が過ぎていきました。

学園報は紙幅の関係で前半、それも大きく割愛した内容しか掲載することができませんでしたので、このブログで紹介させて頂きます。


【和光学園報 座談会 ことばを育てる】 2022年7月26日

◎出席者:小森陽一理事長・ 畠中由美子先生(高校)・橋本紗弥先生(鶴小)

◎司会者:北山ひと美(和光小幼校園長)


司会(北山)小森先生が理事長として来ていただきましたので、私は是非小森先生からたくさんのことを学びたいと思っており、「ことばを育てる」という座談会が実現することを楽しみにしていました。

今日は、和光鶴川小学校の橋本紗弥先生が、小学校の子どもたちの国語の授業を中心にした実践、和光高校の畠中由美子先生には、コロナによる休校中のことを課題にした日記の交流を通した実践を報告していただきたいと思っています。まず橋本先生お願いします。


心が動いたことを詩に綴り、読みあう

橋本先生)和光鶴川小学校の橋本です。今回は、以前1年生を持ったときの詩の実践の話をさせていただきます。

私自身、音のリズム、短いことばの中に情景や作った方の思いがぎゅっと込められている詩がすごく好きでした。一つの詩が読み手によって受け取り方が全然違うところが面白いのですが、何よりも子どもが書く詩がとても好きです。大人には到底ひらめかないなということばの選択や、目の付け所があるところが昔から好きでした。1年生を担任したとき、今回も詩の実践をやりたいと思い取り組みました。

鶴小の国語のカリキュラムには、どの学年にも4月に詩が入っています。これまではその後も年間を通してじっくり取り組むということはなかったのですが、今回、「1年生でも詩を作ることができないかな?」と考えて挑戦してみました。

1年生って1学期にたっぷり時間をかけてひらがなを学び、その中で、ことばあそびや詩もいくつか扱います。声に出して楽しめる詩や、文字の学習にもつなげてまどみちおさんの『あいうえお』の詩を読んだりします。

くどうなおこさんの『うたにあわせてあいうえお』というのを読み、詩を作ることに挑戦しました。「あかるい あさひだ あいうえお」「いいこと いろいろ あいうえお」と、法則性のある詩なので、まねっこ詩で作りやすいかなと思い、最初はその詩を取り上げて、いくつかやり取りをしながら作ってみました。

すると1年生なんだけど、すごく面白くって、「えがおで えをかく あいうえお」とか、「うんちだ うきうき あいうえお」とか、「おかしだ おかしだ あいうえお」とか、短いのですが「この詩、この子作りそうだなぁ」というような個性が表れていました。交流すると、すごく子どもたちが盛り上がっていたのが印象的で。

しばらく休み時間とかも、おにごっこすると「はっしー はしるよ はひふへほ」とかって、子どもが作って遊んでいたりしました。その時「1年生でも、これだけお互いの作ったものを楽しめるんだ」っていうことを感じ、2学期にも、引き続きやってみようかなって考えました。

2学期には重点的に作るっていうことに挑戦をしました。日記やあのねのーとにも取り組んでいますが、1年生はまだ書く力が充分あるわけではありません。でも短くても、その瞬間の心の動きが中心になって作られる詩っていうのは、よりその子らしさが表れ、そこからお互いを知り合う柱になるかなと思います。

どの子にもハードルが低くて、取り組みやすくなるかなという思いもあり、同じ小学1年生が作った詩をいくつか紹介をしたり、他にも、詩人の方の詩を紹介したりしました。

初めは<えん・けら・ぷん・えい・あら・しゅん>っていうのを黒板に書いて、「これは心の動きを表したものなんだけど、何だと思う?」って言ったら、「えんっていうのはえんえんって泣いてるってことだ!」とか、「けらっていうのはけらけら笑ってるってことだ!」っていうのが、子どもたちから出されました。「そういう、心が動いた瞬間をことばにしたのが詩なんだよ」っていうことを最初に伝えて、「じゃあ、今日は最近心が動いたことを詩にしてみよう」と提案しました。

自分としては2つ心掛けたことがあります。詩を作った後に、「もっとこうしたら良いんじゃない?」って正直思うこともありますが、そこは言わない、手直しをその場ではしないということ。もう一つはその詩を出してきたときに、その詩を私自身が一番面白がろうっていうことを心掛けました。中にはまだ書けない子もいるので、やり取りをして話したことばを、私が文字にするということもありましたが、全員が詩を作ることができました。

その詩もすごく面白くって、KAくんは、『ちゃしょう(茶匠)』という題名で、「ぼく ちゃしょうになりたい だって せんのりきゅう(千利休)って ちゃしょうでしょう?」っていう詩を書いていて、「あっそんなふうに思ってたんだ!」と私も新しい発見でした。MIちゃんは、『せかいって なんだろう?』 という詩で、「ちきゅうって なぜまるいの? さんかくでも いいじゃん」と2行の詩なのですが、その子の中にある「不思議だなぁ」っていう思いが表れています。

学級通信でも紹介して、みんなで読み合いました。まだ、リズムとか連などを意識して書くのは難しいので、詩っぽく見えるような形に私が打ち直して、学級通信に載せてみんなで読み合うと、子どもたちもすごくゲラゲラ笑ったり、「あぁー」ってなったりで盛り上がりました。

ちょっと間隔を空けて、読み終わった後にもう1回書いたりすることを続けてやったら、だんだんスムーズに思い付いたり、書けるようになった子が増えてきたかなと思います。中には、「何書いていいんだろう?」って悩む子もいますが、悩んでいる子には、「じゃあその悩んでるのも心の動きだから、詩にしてみたら?」と言ったら、その子は『わたしって すらんぷ』っていう詩を作りました。「もうもう なんで でも もしかして すらんぷ」っていう詩を作り、クラスの子から「詩ってそれでもいいんだ!」と声が上がりました。だから、「こういうのも詩になるんだなぁ」っていうのが、だんだん子どもたちの中にできていったのだと思います。

作ることもそうですが、子どもたちは読み合うことを一番楽しみにしていて、通信に載せると反応し合って、またそれがあのねノートで届いてというのが、少しずつ循環していくような形になっていきました。KOちゃんが、雨の日、友達の傘に入れてもらって嬉しかったという『やさしいきもち』という詩を届けてくれたら、その次の日に、MAくんも、友達にしてもらって嬉しかったっていうようなことが詩で続いていったり、反応し合って「自分も書いてみようかな」というふうになっていったのかなと思います。

AKちゃんは、詩を書くことを通してセンスが開花したなぁって私は思っています。そんなに前に出てきたり、毎回手を挙げて発言したりするという子ではなかったのですが、詩が本当にユニークというか、毎回お父さんがオチに使われるような。『おちゃわん』っていう詩で、「ぱぱは たまーに わたしの おちゃわんを わる」とか(笑)、『おにの つのは なんこある』っていうので、「わたしは にほんで ままは さんぼんで ぱぱは いっぽんだ」っていう、最後にお父さんが笑いに使われるようなところとかがすごく面白かったり、うんちの観察をしたことの詩を届けてくれたりしました。親和会でも「AKちゃんの詩のファンなんです」っていう親たちがいるぐらいです。お母さんの「AK自身も、あのねノートや日記では書けないことでも、なんか詩だと書けたりするようです」というのを聞いて、AKちゃんにとっては「これだったら、自分の思いや考えを自信を持って出せるなぁ」という一つになっていたんだったら嬉しいなと思いました。

詩って、その人の興味関心や感情、生活が見えるところが面白いなって思うので、だからこそ、詩を読み合う子どもたちがすごく生き生きとしているのだと感じます。友達のことを知りたいという気持ちの表れだったり、正解不正解じゃないからこそ面白がることができたり、書けたりすることにつながっているのかなと思っています。国語の読み物教材でのやり取りや作文など、どれもお互いの考えを知るとか、その人らしさがそこで知ることができるということを大事にしています。


司会(北山)ありがとうございます。もっとたくさんドラマがあるのでしょうね。今の橋本先生の実践を聞かせてもらっていかがでしょうか?


畠中先生)読み合うことを楽しみにして、『やさしいきもち』 という詩で、「自分も、その気持ちを日常の中から拾ってきたいな」という気持ちになるような目線をもらっていく感じは、本当に小学校1年生らしい感じがあって良いなと思います。

私の息子が公立の小学校に通っていた時、朝スピーチの時間に誰かが「朝来る途中で、公園でカラスが死んでいた」っていうような話をし、次の子どももその話に刺激を受けたのか生き物が死んだ話をしたのですが、質問が3人と決まっていてそこで切れてしまい、キャッチボールされずに終わってしまいました。「あ、いいなぁ」って響き、次に違う形で自分で返していくというやり取りを育むのはどうしたら出来るのかなと思いました。


橋本先生)読み合うときのお互いの反応を、多分書いた子は楽しみにしていて、「あぁー」とか、「えぇー!」とか(笑)そんなにうまくことばになるわけではないのですが、そういう反応一つが、書いた子にとっては「受け止めてもらえた」という気持ちになり、「次を書きたいな」「自分も書いてみようか」というような安心感に繋がるんだろうなと思います。


小森理事長)小学校で「詩を書きましょう」って言って、みんな書いてこられるの?一応詩人の詩は紹介したということですが、先生の方から「詩とはこういうものだ」という話は特にしてないのですか?


橋本先生)そうですね。ことばあそびや、情景が見えるなど、バラエティーに富んだ詩は出来るだけ紹介して、その幅が広がればいいなぁとは思うのですが、「詩っていうのはこういうものです」とか、「こういうふうに書きます」っていうのはしていないですね。


小森理事長)そういうのはやらないで、1年生の子どもたちに「詩を書いてみよう」って言って、何でこういうのが出てくるんですか?


橋本先生)多分、1年生だからっていうのは結構大きいなと思っていて。


小森理事長)だって、そういう意味では、詩っていう概念も無いわけでしょ?だから、大人の書いたいくつかの詩を見せられ読まされて、「こんなもんなんだな」と。そのとき、子どもたちは先生が言ってる『詩』っていうのは、何だって受け止めてる感触だったんですか?そこが知りたいなぁ。だって、言ってしまえば、小学校1年生は、『詩』って言われてもわけ分かんないでしょ?詩という概念は無いわけじゃない。でも、いくつか見せられて、ああいう言葉が出てくるまでの、彼ら彼女らのプロセスが知りたい(笑)


橋本先生)そうですね。正直、私も「詩ってじゃあ何?」って聞かれると、答えられないなと思うんですよね。


小森理事長)答えられないよね。うんうん。だから、だいたい辞書で『詩』って引くと、ふざけんじゃねぇよみたいな説明が載ってるじゃないですか(笑)「短くて」、「韻律があって」、とかね。そういうすごい形式的なことしか説明してないんだけど、だけど、出てきている言葉は、詩ですよね。紹介してくださったのは。それが、どうやって子どもたちの中でスパークしてるんだろうか?


橋本先生)そうですね。今回は、詩って別に心の動きだけを書くものでもないと思うんですよ。ことばあそびとかもあるし。授業の中ではそういうことばあそびなども扱うけれど、書くときには、今回は最初は心の動きを短い言葉で。「何がありました。今日こういうことをしました」って辿るよりは、そのときの心が動いた瞬間を、短い言葉で書けばいいんだよっていう話を1年生のにやったんですね。


小森理事長)あ、そうなの。「心の動き」っておっしゃったんだ。


橋本先生)はい。心が動いたときのこと。それが、えんえんって泣いたときなのか、えいってやってみたこととか、けらけら笑ったっていう、そういう「心が動いたときのことを、短い言葉で言いたいことを書いてみるんだよ」っていうふうにやったから、詩が何かっていう概念は無いかもしれないけれど、「心が動いたこと短く書けば詩ができるんだ」っていうのが、最初で。


小森理事長)それすごい言語教育だよね。本質だもんね。つまり、自分の中で、あのとき「うわっ」と動いた。心が。小学校1年生にとって、それは対象化されてないんだけれども、「それは何だったのか」っていうことを思い起こして、これは第1段階。「そのときの自分は何だったのか」って。ここで、絶対子どもたちはあんまり日常的にはやらない、『自己対象化』っていうことをやってみて、その上で、「あのときの私って僕って、これ!」みたいな言葉を探し出してきて、書きつけたっていうことですよね。そのプロセスを考えると、「それは詩だよ!」って言えますね。うん。あぁ、なんかすごく分かりました。その導入が、ああいう素晴らしいことばを生み出させたんだなっていうのがね、今よく分かりました。なるほどね。


畠中先生)心が動いたっていう、そのことばそのものは、もうちょっと大きい年齢になると分かるんですけれども、「心が動いた?何?」って、多分1年生ぐらいだと、「心?」って思うんだけども、そこに、この<えん・けら・ぷん・えい・あら・しゅん>っていう分かりやすいことばがありますよね。これが1年生にはすごく分かりやすい示し方だったんだと思いましたね。


小森理事長)で、それが分かった瞬間に、言いたくなる気持ちが出てくるわけですね。


畠中先生)あ、そうですね!そこですね。


小森理事長)「分かった!」感が、表現を促す。それの連続が起きていくっていうかね。だから友達の表現聞いても、「あ、これなんだ!」っていうのがわかると、自分もことばを出したくなる。だから、詩は必ずしも個別的・個人的表現ではなく、まさにことばのやり取りの中で、どんどん詩的環境が生み出されていくっていうか、詩的能力が作りだされていくっていうかね。そういう実践ですよね。みんなが、友達の表現を聞きながら、「これが詩なんだ!」、「これで良いんだ!」とその授業全体で「詩ってこうなんだ」ということを理解しているという現場になってますね。


畠中先生)だから、形の正しさみたいなことを追って行かないで、何行で書く人も色々。言いたいことも、用いる言葉も違う。表現したい言葉で。


小森理事長)そうそう。そうなの。形に行かないで、みんな自分に行ってるでしょ。自分に行きながら、「前聞いた友達のよりも、何かもうひとこと言ってみたい」みたいな。だから、受けを狙うっていうことも大事だよね。つまり、友達に通じる、自分の気持ちをちゃんと伝える、的確な言葉を生み出したいっていう、それはまさに詩的表現の真髄と言えば真髄だよね。そういう現場だったりするのかなって思いましたね。


橋本先生)そうですね。多分、一人で詩を書いていては広がらないものが、読み合うだけで、次に書く表現、向かう気持ちがまったく変わっていったりする。


小森理事長)そうそうそう。私たちの、文学的な学問としての詩の表現というのはさ、ずーっと一人で深く考えて、その深い考えの底から浮かんできたことば。でも。実はそうじゃなくて、自分の中でぐちゃぐちゃしてたり、わだかまってたり、「これ大事だ」と思っていることを、言葉にしたいって思っている。活字の詩の表現だと受けるまで時間が掛かるんだけど、教室はその場で朗読の現場にもなるから、まさにその詩のことばが、活き活きと共有される。そこが、国語の教室の、詩の学習の大事なところだということも、今日の話聞いてわかりました。


表現したことばが活字媒体になって共有されるという体験

畠中先生)詩の発表って、どんな形でされたんですか?


橋本先生)出したその日には打って、子どもが読みやすいような形にして、次の時間か、学級通信でも紹介をします。でも1年生なので、まだちょっと自分の書いたものを読み切れないので、私が読んで紹介します。


小森理事長)先生が読んだの?


橋本先生)そうですね。


小森理事長)それも大事だね。その話無かったんだけど、つまり、子どもたちが習ったばかりの文字で書いて、それを集めて、先生がちゃんと打ち直して、みんなが共有できる活字媒体にして、なおかつ先生が音読した。だから、子どもたちは、自分が表現した言葉に3段階の工程を経て、自分の心の中の言葉が活字媒体に載るっていう、詩人の体験をしたんだね!あぁ~、そこも大事だね。ぐちゃぐちゃの字でそのまま読むんじゃないっていう。詩はそうだもんね。人に読んでもらうために。子どもたちの頭の中で浮かんだ言葉がちゃんと詩になって、教室でもう一度生まれ変わったんだ。あぁ~、それも大事だね。


畠中先生)すごく素敵なものになりますよね。自分の手を離れて。みんなに届いたときに。


小森理事長)自分の言葉なんだけど、別物に。つまり、その瞬間、芸術作品になっているっていう。


橋本先生)「作れた!」みたいな感覚を、やっぱり最初は得て欲しかったんで。


小森理事長)そのプロセス大事ですね。


畠中先生)額に入れてもらったみたいな感じがしますね。


一同)(笑)


小森理事長)うんうんうん。なるほど。それ、聞けて良かった。


司会(北山)橋本先生が心掛けてた2つっていうのも、すごく大事だなと思ったんですね。「もっとこうしたら?」とかって、つい大人は「ここ、こうだったら良いのにな」って思うけれども、絶対言わない。で、何が出てきても面白がるっていうので、みんなに入っていくような詩となったんですね。


橋本先生)そうですね。まずはみんなに「詩を書けた」とか、「良いのが出来た」とかっていう感覚を得て欲しかったので。


小森理事長)そうか。そうだね。自分が習ったばかりの字で書いた拙いものが、先生に提出して、これ学校で大事ですよね。課題を提出する。そうすると、先生が活字に打ち直してくれる。。それで先生が読んでくれて、「俺って、あたしって、こんなこと書いたんだ」という、自分のぐちゃぐちゃの文字の表現が、まさに芸術作品になって本人たちに戻ってきた。それはまさに詩の授業をやったということになるね。自分の発した言葉が詩になって届いて、もう一回皆に届け直された。それは詩の授業だわ。


橋本先生)中高学年ぐらいになると、もしかしたら、自分で行とかを意識しながら書いて、その人の字も字で、力強い字だったり優しい感じの字だったりとか味があるから、そこも表現の一つだと思うんですけど、1年生なので、まずは、作ったものが「こういう詩がちゃんと出来た!」というような思いも大事かなっていうので、今回は打ち直して出しました。


小森理事長)でも、あえて、人間の成長段階の問題で言うと、そのクラスの、習ったばっかりの文字で詩を書いて先生に提出した生徒たちは、初めて、おそらく、自分の発したことばが打ち直されて文字になって、先生の声で読まれることによって、自己対象化できたってことでしょう?「僕ってこういうこと言う人なんだ」とか、「私ってこう言ったんだ」。それはすごい成長ですよね。つまり、即時から対峙への詩の媒介っていう、哲学的にあえて言うと。それが、教室で皆で共有されて。それが「楽しいんだ」、「素敵なことなんだ」って、皆で共有できたっていう授業ですよね。


畠中先生)小学校1年生と言えども、入ってきて、文字が読める書けるも差があったりとか、「自分がどう思われるんだろう」とかね、1年生なりのプライドもありますよね。


小森理事長)そうだよね。緊張しまくってるわけですから。だけどそれが、そのプロセスを経て、一人前になれた感、達成感も共有できてる。


橋本先生)「皆が面白がってくれた」みたいな思いもすごく大事かなと。

                                                             <つづく>











 

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