夢中になることを見つけ、ゆったりと伸びやかに ~和光幼稚園保護者のみなさまへ 退職にあたって~

3月21日付のブログが最後のブログの予定でしたが、和光幼稚園の保護者のみなさまへのごあいさつを改めて園通信に載せて頂くことになり、紹介させて頂きます。

今度こそ、ほんとうに最後のブログとなります。長い間ありがとうございました。




子どもの森の満開の桜に見送られ、星組の子どもたちが卒業したのは十日前のことでした。和光幼稚園で楽しかったことを話して卒業証書を受け取る子どもたちの誇らしそうな顔!3年間、あるいは2年間の和光幼稚園での日々が充実していたことを感じさせてくれる卒業式でした。

星組の子どもたちと共に、私も42年間お世話になった和光学園を卒業しました。保護者のみなさまへのご挨拶が遅くなりましたこと、お詫びいたします。


1981年4月、大学を卒業したばかりの私は和光幼稚園に赴任し、月1組の担任になりました。当時は3歳児花組32名(花1組、花2組それぞれ16名ずつ)、4歳児月2組32名を募集し、三年保育の子どもたち32名は月1組に進級します。まだ三年保育を選択する保護者の方が少なかった時代でした。

その頃、和光幼稚園の園舎は今の小学校工作技術室や調理室になっている場所にあり、今の園舎のあたりには「アラモの砦」と呼んでいた遊具やうんてい、砂場などがありました。

グランドの片隅にアヒル小屋があり、このアヒルはよく卵を産みました。先日のバザーで和光小学校の保護者となった卒業生の方が、「アヒルの卵でしょっちゅうホットケーキを焼いてくれたのがうれしかった」と声をかけてくれました。アヒルの卵は大きくて、担任をしていた花2組16人の子どもたちが食べるホットケーキを焼くには十分でした。

当時、星組は群馬県水上町にある湯檜曽温泉で三泊四日の合宿を行っていました。「日本一のモグラ駅」として知られる隣の土合駅まで電車に乗り、462段の長い階段を上るのも楽しみの一つでした。そこから谷川岳一の倉沢までが山登りのコース。岩壁の峡谷を眺めながらおにぎりを頬張り、キュウリをかじる時の子どもたちの顔は達成感と充実感に満ちていました。山登りの日も川遊びの日も、お昼寝の後はホテルのプールで水泳。ほぼ全員が“トントンポカーッパッ”の呼吸法をマスターして10メートルほどは泳げるようになっていました。

和光幼稚園で3年、月組と花組の担任をした後和光小学校へ異動になり、11年後に和光鶴川小学校へ。鶴小では19年間お世話になりました。33年間ずっと学級担任として過ごしてきた私が、2014年4月、いきなり和光小学校・和光幼稚園校園長として世田谷キャンパスに戻ってきました。同僚である教職員のみなさんは驚きも不安もあったことでしょうが、何よりも私自身が最初は信じられない想いでいました。

幼小中高の校長・園長を長年務めてこられた丸木政臣先生が退任されてから、和光幼稚園・和光鶴川幼稚園園長、和光小学校・和光鶴川小学校校長、和光中学校・和光高等学校校長の三校長制度となり、3人の校長が校長会で繋がりながら高校以下の学園運営を担ってきました。その後幼稚園から小学校への内部進学が課題となり、幼小校園長制度にしたのが2011年度。東日本大震災直後の混乱した状況もあり、最初の校園長となった鎌倉先生はたいへんご苦労をされました。二期目の2014年度からの校園長に、と校長園長推薦委員のみなさんが北山に声をかけてくれたのでした。できるのかどうか未知数ではありましたが、何でもやってみないとわからない、と思っていた私はお引き受けしました。

丸木先生が「研究なくして和光なし」とよくおっしゃっていましたが、和光学園の教員、保育者はほんとうに研究熱心です。特に和光幼稚園では保育内容、生活を見直し、子どもの発達を促すために子ども自身が夢中になることを見つけ、自分ってすごい、と思うことができるような、そんな保育を作らなければならないのではないか、と園内での研究活動を進めていました。

様々な研究会とつながり、時には海外の保育現場を視察するなどしながら、これまでの保育を見直すことを研究課題にしている最中でした。和光学園は民主的な学園であることを何よりも大切にしていますので、「改革」はそう簡単には進みません。納得いくまで何度も話し合いを重ね、時には検証しながら考え直すこともあります。

これまで月組でとり組んでいた大型動物制作、星組の木工作の集大成として作っていた大型の電車とそれを使った電車ごっこ、運動会で行われていた野外劇などなど、長年伝統的にとり組んできた保育内容が、子どもにとってどういう意味を持つのか、子どもたちはどのような想いで受け止めているのか、など議論しながら別のものに変更することを行ってきていました。

私が園長として赴任した頃、「好きな遊びの時間」が子どもたちの遊びの幅を拡げ、仲間との関係を深めていく大切な時間として位置付いていました。その後、保育室を含めた「保育環境」を見直し、トイレ、食事の時間も子どもが自分で選んでいくことができるようにしたいということが提起され、「ランチタイム」が取り入れられました。

そのような中、私が性教育の研究団体(一般社団法人“人間と性”教育研究協議会<性教協>)に所属していたため、保護者のみなさんに「子育てと性」についてお話しする機会を与えて頂きました。その中で、保護者の方から当時まだ全員海水パンツでプールに入っていたことが指摘され、合宿の入浴の仕方についても心配の声がありました。まだ「からだの権利」という意識は広がっていない頃でしたが、子どもたちが自分自身のからだ、周りの人のからだを大切にしようと思うことができるようにするために、子どもに関わる大人が意識を変えていかなければならないという私の話に多くの方が共感して下さったことを心強く感じました。

職員会議を経て、水着の変更、男女一緒に保育者も裸になって入っていた合宿の入浴方法の変更が実現することになり、さらに保育者から水着に着替えるときの場所をどうするのがいいかという問題提起もありました。

今では男女別に着替えるのが当たり前になり、一人で着替えたいと言う子どものための着替えスペースを作ったり、遠足や合宿での簡易トイレの準備など幼稚園の中で様々に工夫しています。

最近、こうして大きくなった子どもたちの意識は確実に変化しているのだということを感じることがありました。3月中旬、和光小学校5年生で「社会的な性の問題」の単元でセクハラを扱う授業をさせてもらいました。いくつかの場面を設定して、「これってセクハラ?」かどうかを子どもたちが考える、というものです。その中の1つ<女の先生が「いい場所がないから男の子たちはここで着替えて」とドアのない部屋で着替えるように言いました>という場面、5年2組の子どもたちは全員「セクハラだと思う」と答えました。十数年前、鶴小で同じ授業をしたときは、男子1人が「思う」に手を挙げましたが、他の人たちが「よくあることだよ」「仕方がないじゃない」と「思わない」という意見だったのです。幼稚園の頃から、一人の人として大切にされ、子どもだからこれでいい、ということにしない、という意識を保育者も保護者のみなさまも持っていることの結果なのだと思いました。

和光幼稚園の保育は、子ども一人ひとりを大切にすることを、あらゆる場面で第一に考えています。リズムや工作、描画などクラス活動の時間でも、運動会や荒馬の会など行事でも、「やりたくない」子どもの気持ちを受け止め、尊重します。もちろん、どうしたらやりたくなるかを考え働きかけますが、決して無理強いしない、子ども自身が葛藤することとその時間を大切にしているのです。子どもたち同士の関係においても子どもたちは発達年齢によって様々な葛藤を繰り返します。保育者はそれを見守りながら、子ども自身が乗り越えていく姿を克明に記録しています。私たちは各学期の終わりにクラス、グループの総括を行いますが、その中で語られる子どもたちは、一人ひとり違った物語を紡ぎながら一歩一歩成長しています。それは日々の学級通信でも綴られ、保護者のみなさまと共有してさらにご家庭での様子を届けて頂くことで、より鮮明に子どもの姿が浮かび上がってきます。


児童文学作家で翻訳家でもあった石井桃子さんは、日本における子どもの本の礎を築いたことでも知られています。2001年7月、杉並区立中央図書館を来館したとき贈られた色紙には、以下のような文言が記されています。

<子どもたちよ/子ども時代を しっかりと/たのしんでください。/おとなになってから/老人になってから/あなたを支えてくれるのは/子ども時代の「あなた」です。>

石井桃子さんが最も大切だという3歳から5歳までの“子ども時代”、夢中になることを見つけゆったりと伸びやかに過ごすことができる和光幼稚園に大切なお子さんを託して下さった保護者のみなさま、力を合わせてよりよい保育を進めていこうと努力している教職員のみなさん、何よりも和光幼稚園で楽しく元気に過ごしている子どもたちに、こころより感謝申し上げます。

ともに過ごすことができた時間と空間は私の宝物です。

長い間ありがとうございました!



                       2023年3月26日

                                                         北山ひと美




 

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