からだの仕組みを知ることは、 自分自身のからだ、パートナーとなる人のからだを 守ることにつながる ~和光小学校 5年生の「こころとからだの学習」~

和光小学校の総合学習には、学年別テーマと領域別テーマがあります。領域別テーマは2つ。「こころとからだの学習(性と生の学習)」と「異文化国際理解教育」です。

今年、5年生の「性と生の学習」の研究授業と実践レポート報告を行いました。5年生は4年生で一度学んだ二次性徴についてさらに詳しく学び、性の多様性についても学習します。養護教諭と担任がコラボして授業を組むのもこの学習の幅を拡げています。

5年生の授業を何度か参観し、学級通信で交流する子どもたちの感想も読み、男女共修で「精通・射精」「初経・月経」の授業を受けることの意味を確認することができました。

私から5年生の子どもたちに当てたメッセージを紹介します。



5年生のみなさんへ

和光小学校は「性と生の学習」を「からだ・こころ・いのちの学習」としてすべての学年で行っています。自分のからだがどのようにしてでき、これからどう成長していくのかを知ることは、自分のからだを守るだけではなく、将来パートナーとなる人のからだを守ることにもなり、小学生の間にしっかり学ぶことが大切だと考えているからです。

5年生の単元「思春期のからだとこころ」では、4年生で一度学んだ男の子、女の子の二次性徴、それに伴うこころの揺れについて学習します。今年は5年生の授業を何度か見せて頂くことができ、みなさんが授業を受けて「感想」として書いたものも読ませて頂きました。

優子先生が話す内容に真剣に耳を傾け、聞きたいことは質問し、感想には感じたこと、考えたことが率直に書かれていることに感心しました。

私が小学生だったときはもう50年以上前ですが、4年生の時、女の子だけ集められカーテンを引いて暗くした部屋で保健の先生が「月経」の話をしてくれたことを覚えています。(正式には「月経」です。「生理」は、生理現象の一つという意味であだ名のようなものです) 

その1時間だけで何のことだかよくわからないままでしたが、外で遊んでいる男の子たちは「月経」はもちろん、「精通・射精」のことも学校で教えてもらうことがないままでした。昔のことだと思いたいのですが、実は、今でも日本の学校では「性と生の学習」「性教育」をきちんと行っているところは少ないのです。

ヨーロッパでは何十年も前から学校で性教育が行われてきていますし、2009年に国連の機関であるユネスコなどが作った『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』という性教育の基本になるものができあがってからは、世界のほとんどの国々で性教育が行われています。(なぜ日本では性教育が十分に行われていないのかは、また機会があったらお話ししましょう。)

和光小学校では「初経・月経」「精通・射精」をクラスのみんながいっしょに学びます。いっしょに学ぶことで男性と女性の二次性徴のことがわかり、自分が経験することがないことも想像することができます。みなさんにもやがてパートナーとなる人ができるかもしれません。その時、相手のからだの状況をわかっておくこと、自分のからだのことを知っておいてもらうことはお互いにいい関係でいるためには欠かせないことだと思うのです。

大人に向かうからだの変化、特に二次性徴と呼ばれるものはこれまで経験したことがないことで、「精通・射精」「初経・月経」は、実際にはどのようなことなのだろう、と心配になった人もいるのではないでしょうか。このようなからだの変化は、大人になるにつれて、うまく付き合っていくことができるようになるものです。それでも心配なこと、不安なことは優子先生や東田先生などに聞いたり、性教育について書いてある本が図書室にもありますので読んで下さいね。インターネットに出ているものは偽の情報も多く、お薦めできません。

大切なのは、知りたいこと、心配なことをそのままにせず、信頼できる人に相談したり調べたりできる力を付けておくということです。5年生のみなさんは、きっと大丈夫だと思っています。



このメッセージに、「なぜ日本では十分に性教育が行われていないのかはまた機会があったらお話ししましょう」と書いたので、その後、性の多様性の学習の中でトランスジェンダーのあっきーさんからお話を聞いた後、もう一度メッセージを送りました。



5年生のみなさんへ

総合学習「思春期のからだとこころ」の授業を見せていただき、学級通信を読ませていただきましたが、あっきーさんの授業を真剣に受けている姿から、みなさんがこれまで“からだ”“性”の学びを重ねてきたことで、一人の人を大切にするということはどういうことかということがわかっているのだということが、よく伝わってきました。

和光小学校で「からだ・こころ・いのちの学習」として行っている包括的性教育は、実は日本の小学校ではほとんど行われていません。どうしてなのか。そのことを少しお話ししたいと思います、

※包括的性教育とは、性をからだとこころ、人間関係、社会とのつながりなど、いろいろな角度から幅広く学ぶ教育のことで、知識を学ぶだけではなく、物事の考え方や感じ方の幅が広がる学びでもあります。

“性”“性教育”のとらえ方

2月の初め、同性の人どうしが結婚する「同性婚」を認めようと法律を改正することについて、総理大臣秘書官が「同性カップルが隣に住んでいるのもいやだ。同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」という発言をして、秘書官を辞めさせられた、というニュースがありました。やめさせた総理大臣も「こうした制度を改正すると、日本の国民すべてが大きなかかわりを持つことになる。社会が変わってしまう」と国会で答えています。その発言が差別発言ではないかと質問した議員に対して、「ネガティブなことを言っているのではない」と答えましたが、みなさんはどう思いますか?

G7と言って「先進7か国」とされる国の中で、「同性婚」を認める法律がないのは日本だけです。だから法律を作ろうとしているのですが、そのための国会の中で総理大臣がこのような発言をしたのです。

あっきーさんの授業では、からだの性別とこころの性別についてトランスジェンダー、シスジェンダーということばで説明してもらいました。そのほかにも、好きになる性別も異性、同性、異性も同性も、どちらもない、と様々です。ところが、結婚は異性の間でしか認められていない、というのが日本の現状です。

私は、日本では十分な性教育が行われてこなかったし、今も行われていないことが大きな原因だと思っています。では、なぜ性教育が十分に行われていないのでしょう?

そこには、“性”“性教育”に対する偏見があるのではないかと思っています。これも国会で当時の総理大臣が発言したことですが、「性については教えてもらわなくても自然にわかるものだ。」として、当時、障がいを持った子どもにもわかりやすく月経や精通、妊娠の仕組みを教えようと工夫して授業をつくっていた学校の先生たちを教育委員会が攻撃するということがありました。この事件は、10年にわたる裁判の後、学校で行っている性教育は間違っていない、と判決が出て、やめさせられた先生たちも元に戻ることができました。

それでもこの事件で、学校の中で性教育をやってはいけないという雰囲気が作られ、各地でいっしょうけんめい性教育を進めようとがんばってきた先生たちも、子どもたちに教えることを控えるようになりました。

この事件に象徴されるように、多くの大人たちは、“性”“性教育”は卑しいものであるという考え方から抜け出せないのではないかと思っています。そこには、大人自身がきちんとした性教育を受けてこなかったので誤解や偏見があるということと、もう一つ、昨年から問題になっている旧統一教会との関係が大きくかかわっていることも明らかになってきています。

世界の性教育とジェンダーギャップ指数

一方、北欧を中心に、何十年も前から世界の国々では性教育が行われてきました。2009年にはユネスコなど国連の機関が中心になって『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』が出され、各国はすぐに翻訳、出版して学校での包括的性教育に取り組み始めました。ところが、日本ではすぐに翻訳、出版が行われず、大学の先生たちが中心になって2017年にようやく出版されました。その後も、文科省が学校で行う教育内容を示した学習指導要領の中には、包括的性教育は入ることがないままとなっています。

ジェンダーギャップ指数ということばを聞いたことがあるでしょうか?世界経済フォーラムというところが、「政治」「経済」「教育」「健康」の4つの分野に関してジェンダーギャップ、つまり女性と男性の格差がどれぐらいあるか、ということを示したものです。この格差が大きいほど女性が差別されている、と見ることができます。2022年7月発表のジェンダーギャップ指数によると、日本は146か国中116位(前回は156か国中120位)でした。先進国の中では最低レベル、アジア各国の中でも低い結果です。日本は「教育」「健康」分野は高いのですが、「政治」「経済」分野がとても低いのです。国会議員の中に女性が占める割合はまだまだ低く、地方議会では女性議員が一人もいない、というところもたくさんあります。これは何を意味しているのでしょう?

政治を行う人たちの多くが男性であるということは、女性の意見が反映されにくいということです。今では男性も女性も職業を選ぶ時、自由に選ぶことができるはずなのに、支払われるお給料に差があることもあり、男性が子どもの世話をするためにお休みを取りづらいということもあります。家庭の中でも性別による役割が決められていることもまだまだあるのではないでしょうか。性別にとらわれず、だれもが自由にやりたい職業を選び、共に生活するパートナーを選ぶことができる、そのような社会を実現するためには、多くの人が包括的性教育を学ぶことが必要であると思っています。

学ぶことは自分自身を知り、多くのものを受け入れる幅を広げること

あっきーさんのお話の中で、「小さい頃から着ぐるみに閉じ込められているようで苦しかった。でも勉強していないので自分のことを説明できなかった。知らないってこういうこと」だということばがありました。あっきーさんは大学生になって初めてトランスジェンダーということばと出会い、自分自身を理解することができたと言います。私があっきーさんと出会ったのもそのころでした。私の所属する研究会に通い、熱心に学ぶことで多くの仲間とつながることができ、今では日本中の学校や地域の集まりに呼ばれて講演活動をしています。

最初に紹介した日本の政治家の方たちも、学ぶ機会があればあのような発言をすることはなかったでしょう。

LGBTQというのは性的少数者を表すことばですが、最近はSOGIEと言って自分をどのような性別だと思うか(性自認)、好きになる性別はどれか(性的指向)、どのような表現をしたいか(性表現)は一人ひとり違っている、つまり性は多様であって、自分自身もその多様な中にいる、という考え方が拡がってきています。そのように考えると、多数派か少数派か、ということではなく、自分はこういう人だ、と胸を張って生きていくことができるのではないでしょうか。それはまた、自分の周りにいる人たちを受け入れる幅の広さにつながり、生きていく世界が広がることでもあります。私はそのように思っています。



包括的性教育は、自分自身もパートナーのことも大切にするために欠かせない学びです。子どもたちとともに私たち大人も学び続けていくことが、多くの人たちが幸せになることにつながると信じています。


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